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2011-07-03

祈りの空間

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GR DIGITAl III + SILKYPIX

朝の8時にノートルダム寺院の門が開いた。土曜日だがミサがあり、信者が訪れる。もちろん観光客も無料で教会内に入れる。

フランス人の研究者仲間が、先日ここを訪れたときに、壁面の彫刻について説明してくれた。キリスト教が説く「最後の審判」と「復活」が描かれているという。

苦難が続く日本を遠く離れて、何ゆえの苦難なのか考えさせられた。「善」が足らなかったからか? 「善」が十分に足りていても苦難は避けられないのか?

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GR DIGITAL III + SILKYPIX

寺院内は、大きな祈りの空間が広がり、賛美歌の音と祈りの言葉が響く。

我々が普段感じる「豊かさ」と、「善」は、同じものではないはずだ。少なくとも、津波や放射性物質の難を逃れた方々は、営々と築いてきた「豊かさ」を一夜にして失い、苦難の日々を生きておられる。

この「失った豊かさ」は、概ね物質的なものだ。「善」とは、精神的なものや、気持ちの問題であって、「物質的な豊かさ」とは異質だ。

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GR DIGITAL III + SILKYPIX

「物質的な豊かさ」を失っても、「精神的な善」を保ち続ければ良いのか? 逆に、「精神的な善」に満ちていれば、「物質的な豊かさ」を失っても、「自然の威力の前で、仕方がない」と潔く諦められるのか?

小生は、仕事柄、どこまでも「物質的な世界」で物事を考える癖がついてしまっており、まだまだ精神修養が足りない。

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