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2010-11-21

「アート」できるか?

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GR DIGITAL III + SILKYPIX

(株)リコー殿GR BLOG今月のトラックバック企画のお題は「アート」である。応募してみようとも思うが、どうしても躊躇してしまう。

「アート」とズバリ言われてしまうと、小生自身が写真で「アート」できているとは思えないのである。「アート」とは、本来、人の創造物である。小生の作品と言うからには、小生自身が創作しなければならない。写真は、本質的な特徴として、被写体があって初めて成り立つものである。その上で、まず、小生は被写体を創造するようなことはしていない。既存のものを撮っている。既存のものを撮って事後処理を通じて一枚の画像に仕上げる過程ではどうか? そこでも、あまり創造的なことは出来ていない。

素晴らしいと感じたものを撮るだけでは、創造ではない。その素晴らしさが画像に忠実に再現されて、誰もが鑑賞して素晴らしいと同意するものでも、撮影者の作品としての「アート」とは呼べない。単に撮影のテクニックが優れているだけであって、「素晴らしさ」は被写体に属するものである。

忠実さに劣る画像であっても、あるいは、被写体が一般的に素晴らしいと思われないものであっても、撮影者の意思が込められていて、その意思が鑑賞する者に「素晴らしい」という思いを起こさせるものであれば、立派な「アート」である。あるいは、素晴らしい被写体を創り出して、これを撮影して作品にすることも「アート」であろう。このとき「素晴らしさ」は作品に、そして作者に属する。

この観点からすれば、小生は、被写体の準備、撮影、事後処理などのプロセスのどこに思いを込めるべきであろうか?

事後処理を凝ることも一つの方向性である。IT技術に支えられた撮影と画像処理技術の発展により、様々な工夫や操作による創作が手軽に行えるようになった。フィルム時代の写真では考えられなかったような前衛的な「アート」が家庭のパソコンで創りだせる。残念ながら、小生には、この類のセンスは無い。小生としては、写真としての特徴が薄れ、抽象的な絵画としての性格が強くなるものは避けたいという気持ちもある。

写真の特徴である「被写体」に、向き合いたいのである。

被写体を創るタイプの写真は、非常に興味を惹かれる。学生時代にも女性ポートレートのスタジオ撮影をしてみたいと思ったものである。モデルを選び、メークやポーズ、ライティングを凝って、自分のイメージ通りの写真に仕上げたいと夢見た。しかし、今、省みると、「自分のイメージ」が本当にあったのか、甚だ怪しい。単に、グラビア写真の模倣をしたかっただけのように思われる。

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GR DIGITAL III + SILKYPIX

「自分のイメージ」とは何か? 自分が何を表現したいのか、ということである。

女性ポートレートであれば、小生の「女性像」ということになろう。小生も、不肖ながら歳を重ねただけあって、学生時代よりも現在の方が女性像が固まってきたようにも思える。その女性像を世にどのように訴えるのか? そもそも訴えたいという動機があるのか? 女性像については、今では動機はあまり無い。

動機が無ければダメである。

世に訴えたいことは、あるのか? 言いたいことはあるのか? これは、多々ある。連れに呆れられながらも、小生が思うところを連れに延々と説いて聞かせたり、ブログをしているのも、そのような欲求の現れである。

必要なことが1つある。言いたいことは整理しなければならない。ダラダラと表明するのではなく、しっかりまとまっていて、インパクトがなければならない。言いっ放しであることも良くなく、次に繋がる筋道がなければならない。

このことは写真にも言えることで、何がしか「テーマ」と「作風」と呼べるようなものを確立しなければなるまい。何を「テーマ」とするか、「作風」をどうするか、考えつつ追々綴ってみたいと思う。

ごちゃごちゃ書いたが、やはり、トラックバック企画「アート」に参加してみよう。

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