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2010-03-27

海ゆかば-久里浜

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GR DIGITAL III + SILKYPIX

入り江の奥に少しだけ砂浜が残っている。ここが日本の「近代」が始まった地である。

横須賀から少し南下すると浦賀、さらに進むと久里浜である。ここに黒船を率いたアメリカのペリー提督が上陸した。開国を要求する大統領の親書などが江戸幕府に手交された。これがペリー提督来航の1回めのことである。鎖国をしていた当時の日本で、長崎以外の場所で初めて公式な外交が行われた。約半年後にペリー提督は再度訪日し、日米和親条約が結ばれた。

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GR DIGITAL III + SILKYPIX

浜から少し上がったところに記念碑が建てられている。揮毫は伊藤博文による。第二次大戦中は親米的なものという理由で引き倒されてしまったそうだが、無事に再建されている。小生の経験では、この手の碑としては最も大きいものである。

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GR DIGITAL III + SILKYPIX

この碑の周りは意外とひっそりしている。観光客はそこそこ居るのだが賑わうほどではない。それよりも、普通に地元の方々が憩う公園のようである。現在のように外交が飛行機で行われる時代ではなく、当時は海事を基本としていた。錨のモニュメントはそのことを強く想起させてくれる。

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GR DIGITAL III + SILKYPIX

ペリー提督は強気の外交を行ったわけだが、日米の国の歴史を比べれば、当時の米国がそれほど大したものではなかったことは明らかである。イギリスから独立してまだ100年も経っていない。若かりしペリーが参戦した米英戦争では海軍も陸軍も弱小なものであった。この地における日米交渉のあと、アメリカは南北戦争のため外交世界から一時消える。このような中、ペリー提督は、なんと、東回りで日本に来ているのである。所属が東インド艦隊であったからであろうが大変なものである。

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GR DIGITAL III + SILKYPIX

碑以外に小ぢまんりした記念館がある。近代日本が始まった一大事件の資料を展示する場所としては、どうも不十分のようにも感じるが、あまり浮かれずにノンビリ・じっくり構えていろいろ考えるには良い場所でもある。

開国当時、政治体制の新旧の違いや活発度は別にして、日本には300年にわたる幕藩体制が確立されており、文化においても、人口においても成熟したものがあった。特筆すべきことに、この5年後には日本人自らが咸臨丸で太平洋を渡っている。高いレベルの文化度を達成していたからこそ、列強の植民地になることもなく、幕末から明治へのダイナミックな時代を日本人自らが切り開けたのだと思う。

小生は、文化度は、一言で言い換えると、教育を重視する度合いだと考える。

見聞きしたエピソードの紹介で恐縮だが、岩崎弥太郎の母親は「どれだけ貧乏しても書物を手放すな」と教えたとされる。秋山好古・真之兄弟の父親も「貧乏がいやなら勉強せよ」と励ましたという。近代日本の夜明けを支えたのは知識人であり、その全てが教育の重要性を無条件に理解していた。そして書物や教科書が必要なのである。貧乏な知識人の子供たちは「ただの学校」「安い学校」すなわち官営・公営の学校を目指した。

翻って、現代。

高校の無償化、結構。できれば、大学の奨学金制度をもっと拡充してもらいたい。しかしながら、普通の教育のためでは意味がないと思う。これらは「高等教育」なのである。

ゆとり教育は見直されつつある。これも結構。高い文化度は必死の勉学によってのみ達成されるものである。悠長に構えていてできるものではない。

今の制度の教科書はそう簡単に内容を充実できないであろうから、せめて、副教材の使用は自由にしてもらいたい。そこで、できるだけ高いレベルの資料を学生のために用意すべきである。小生にはどう考えても「お上」が教科書の内容を「削る」制度が解せないのである。

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