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2009-12-12

裁判員制度

今晩放送のHEROを楽しんで観た。裁判員制度が始まる前の作品である。もしシリーズの続編を作るとなるとまた違った演出になりそうで楽しみである。

小生は裁判員制度に賛成である。

現在の一般的な日本人の市民意識のレベルに照らして、今、上手くいくかどうかはわからない。しかし長い目で見て司法制度に市民が直接参加することは有意義なことだと思う。今から始めることも悪くなかろう。

裁判員制度を義務のように見る向きもあるが、これは権利とも言える。被告人にとっての公開の裁判を受ける権利を一層推し進めたものと言えるし、裁判員を務める市民の側からすれば公権力を行使する機会でもある。

国の三権は立法権、行政権、及び司法権だが、立法権に関しては国会議員を通じた間接的な行使である。行政権は議員内閣制の日本ではさらに間接的である。昨今の選挙の投票率が下がる傾向は、権利行使に対する市民意識の低下の現れのように思われる。

今年は政権交代が起きた総選挙で盛り上がりを見た。結構なことだと思う。ただ選挙期間の「行事」というか「祭」のような興味の持ち方ではなく、新政権の政策の良し悪しに引き続き市民全体で注目したいところだ。それには全体的な市民意識の向上が必要であろう。

この度の裁判員制度の導入で司法権の行使の機会が身近なものになった。これは市民意識の向上に大きな効果を持つものと期待する。法律とは何かを理解するこれほど実地で直接的な好機はなかろう。法律自体に疑問を持てば立法のあり方が気になるに違いない。刑事裁判の経験があれば民事裁判や行政裁判の見方も大きく変わるであろう。そうなれば行政の見方も厳しくなる。

ヘンリー・フォンダが主演する「12人の怒れる男」いう映画も非常に良くお奨めする。12人の陪審員が刑事裁判の評決に到るまで大変なストレスの中で徹底的に議論する物語である。一部で裁判員がストレスを感じることをもって良しとしない意見もあるようだが、ふざけないでもらいたい。公権力の行使にはストレスを十分に感じながら真剣に取り組むべきであろう。市民はそのストレスに耐えるだけの力がなければならない。

HEROでは、キムタクも、松本幸四郎も、岸部一徳も、そのストレスの様子を上手く演じているし、タモリが「ふざけた」役に上手くはまっていた。

このように裁判員制度が端緒になって、国の「ふざけた」動きを許さない市民の目が肥えれば喜ばしい。

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