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2009-11-28

科学技術の象徴?

予算編成のための「事業仕分け」とやらで報道が賑やかである。スーパー・コンピューターが科学技術の象徴のように扱われ、政治家と学者の異なった見解が激突している。

しかし、双方とも、国家のあるべき姿について本当に深く考えているのだろうか? あるべき姿には2つの側面があるように思う。

ひとつは、現在の日本のように多種多様な人や組織が複雑に絡み合い関係しあう総体の姿である。これは、はっきりとは見えないものであろう。混沌と言って良いかもしれない。もうひとつは、そのような混沌の中で比較的良く見える形で現れる象徴的な事業である。

この象徴的な事業が総体の姿を良く代表することは可能なのだろうか? これは非常に難しいことだと思う。政治家先生にも学者先生にも文科省官僚にも、ここを今一度よく考えて欲しいものである。

日本が科学技術立国であるとしよう。工業生産の拠点は海外に移る傾向が強いので、将来の国内主要産業は、優秀な設計を行うことと、海外では生産できないほどの極めてハイテクな製品を生産することになろう。これを支える人材を国内で養成することと科学技術立国は同義と言ってもよい。

スーパー・コンピューターの開発に国家予算を投じると、どれだけの波及効果があるのか? 国内の人材養成に大いに役立つのか?

電子回路の設計・生産は進歩するであろう。高速数値計算のプログラミング技術も発達するであろう。計算機科学のうち少なくとも数値計算の分野は躍進するに違いない。では、計算機科学の応用面はどうか? 計算機が完成した暁に、どのように利用申し込みを受け付け、審査し、計算機の能力がどれぐらいの割合で末端の若手研究者や技術者に配分されるのか?

大事なことはこの後半の部分である。

箱物装置を完成後に応用や利用に供して、装置の能力を科学技術の様々な方面に波及させないといけないのである。これには特別なマネージメント能力が要求される。象徴である箱物装置を混沌とした総体の中に位置づけ、総体を代表させる作業と言って良い。政治家先生も学者先生も文科省官僚も、この点において理解や実践を欠いているのではないだろうか?

スーパー・コンピューターが次のノーベル賞学者を生むことに繋がれば大いに目出度い。しかし、それだけではダメなことも指摘しておきたい。エリート研究者だけではなく、日夜手を汚して作業を続けている末端の技術者をも育てるようなものでなければならない。

政治家先生には様々な研究者・技術者が国を支える科学技術立国の国家像を示してもらいたい。

学者先生にはスーパー・コンピューターでもたらされる新たな計算能力が様々な研究者・技術者の恩恵となることを技術的に丁寧に説明してもらいたい。

文科省官僚にはスーパー・コンピューターの応用・利用の枠組みについて具体的な道筋をつけて頂きたい。

この3者の見解がよく噛み合って初めて、スーパー・コンピューターは科学技術立国の中で活きてくる。

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