« ウルトラC立国? | トップページ | 青森―奥入瀬渓谷 »

2009-11-21

青森―八甲田山

R0010201
GR DIGITAL III + SILKYPIX

たまっている写真を少しずつ紹介していきたい。一度触れた青森の話題である。9月下旬に青森を訪れた際には、レンタカーを利用して八甲田山方面にも脚を伸ばした。八甲田山について小生は学生時代から若干の知識を持っていた。新田次郎著「八甲田山死の彷徨」を読んだからである。

日露戦争がもはや避けられないと見られた時期、厳冬期の軍隊行動について研究するために冬の八甲田山で行軍演習が実施された。そこで199名の死者を出す大遭難事故が起きたのである。青森第5連隊所属の210名と弘前第31連隊所属の38名(1名は記者)が相対する方角から八甲田山系に入ったが、大変な悪天候に遭遇し、第31連隊員は辛くも全員が青森までたどり着いたものの、第5連隊員は行軍初日に行動の自由を失い、引き続く数日間にほぼ全滅した。

この第5連隊の惨劇を伝える碑として後藤伍長の像がある。後藤伍長は救助要請のため下山途中に立ったまま仮死状態となり、後に救助された。なお、「八甲田山死の彷徨」は一応フィクションの小説ということになっており、後藤伍長の名は「江藤伍長」と変えて表記されている。

R0010200
GR DIGITAL III + SILKYPIX

新田次郎の本の巻末には、第5連隊が遭難した賽ノ河原から馬立場、鳴沢にかけての地図が載せられているが、縮尺がはっきりと明示されていない。後藤伍長が発見・救出された場所の印も付けられているのだが、現在の地図と照合してみると、この銅像の位置とは異なっている。

R0010203
GR DIGITAL III + SILKYPIX

銅像の位置は第2露営地と第3露営地の中間辺りらしい。銅像までの遊歩道は第2露営地側から登っていく経路のようで、その入り口付近には実際に遭難の場所であることを示す大きな表示が出ている。ということは、この辺りが第2露営地なのであろう。第2露営地では多くの兵が命を落としており、大遭難が決定的になった所である。

R0011128
GR DIGITAL III + SILKYPIX

夏が過ぎるころの八甲田山は平穏そのものだった。観光客も多く土産物屋は賑わっていた。しかし八甲田山は早くも紅葉の季節を迎えつつあり、冬が足早に訪れつつある兆しがあった。厳冬期にはこの辺りはまったくの別世界になるのであろう。雪深く閉ざされる季節には現在でも行動の自由はほとんど無さそうである。容易に想像できるほど山深い土地であった。

R0010207
GR DIGITAL III + SILKYPIX

ところで、八甲田山の第5連隊の悲劇の陰には実は第31連隊の成功があった。この成功を称える碑はどうも無いようである。小生の感想は複雑である。

日本人は悲劇を好む。成功を伝える場合であっても苦労や信念などの精神面が協調される。この手の「お涙頂戴系」物語は小生は苦手である。淡々と技術・経験の過不足や判断の良し悪しを基に失敗・成功を論じて欲しい。「淡々と」と書いたが、失敗・成功を論じる基準の中に自ずと論者の価値観が現れると考えている。

ちなみに、後藤伍長の像にある碑文は時の陸軍大臣寺内正毅のもの。寺内正毅の人物像について参考になるものとして司馬遼太郎著「坂の上の雲」の「あとがき三」を挙げておきたい。寺内正毅の精神構造が日本人の典型例であるとすれば、小生は残念である。

« ウルトラC立国? | トップページ | 青森―奥入瀬渓谷 »

コメント

コメントを書く

コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/546773/46818374

この記事へのトラックバック一覧です: 青森―八甲田山:

« ウルトラC立国? | トップページ | 青森―奥入瀬渓谷 »